さいたま人の物語
さいたま人の物語I さいたま市は一日にして成らず
日本の歴史上、初めて構築されたひらがな県庁所在地さいたま――
その一年の興亡には20世紀を生きる我々の根源的営みの座標軸が全て刻み込まれている。〈見沼学芸賞〉
上尾駅戦記 さいたま人の物語II
通勤は、人間のあらゆる所行を際立たせる――
興隆の途にあった埼玉都民が初めて直面した危機、通勤戦争のプロセス、
敗者(大宮以遠)と勝者(大宮以南)の命運を余すところなく活写!
埼玉都民の混迷 さいたま人の物語III
千葉を倒し、横浜を滅亡させ、副都心の覇者となったさいたま人。
しかしさいたまに無関心の世紀が始まる。敵は自らの内にあり――書下ろし、いよいよ佳境に!
土屋義彦 荒川以前 さいたま人の物語IV
前人未踏のバカ娘と破天荒な県財政故に、辞職後二年にわたって様々の人が様々の視点から、
この県知事に取り組んだ。それら全てをふまえて描く、なぜ土屋義彦か。
土屋義彦 荒川以後 さいたま人の物語V
賽は投げられた! 荒川を渡った土屋義彦五六十五歳。
迫りくる辞職を予知したかのように土屋義彦は12年間であらゆることを為しとげた。その全貌をネタ的に描く。
パクス・サイターマ さいたま人の物語VI
人は見たいものしか欲しない――土屋義彦の後継者上田清司は、
半年をかけて革新県政を静かに保守県政へ移行させ「さいたまによる平和(パクス・サイターマ)」を実現する。
天才の後を継いだ天才ではない人物が、いかにして天才が到達できなかった目標に達したのか。
見たくない埼玉県を直視した県知事上田清司の物語。
悪名高き都知事たち さいたま人の物語VII
大東京全体の安全の保障、千万の人々を養う食糧の確保、
そして金融危機や大災害への対処――都庁からさいたまを生暖かく見守る四人の都知事は、
その余りに重い役割を果たすことができたのか。美濃部を始め悪評紛々の都知事たちに光を当て、
罪のみならず功も描ききった意欲作。さいたま史を彩るテレビ埼玉・NACK5も続々登場。
危機と選挙 さいたま人の物語VIII
1947年、福永健司を最後に官選副知事の血統が絶え、さいたまは大混乱に陥った。
一年あまりのうちに三人の県知事が位に就いては解任され、あるいは辞職。
利根川の水でさつまいもを洗う内乱が繰り広げられる。これが同じさいたま人なのか!
未曾有の危機からさいたまを救い、さらなる繁栄へと向かわせたのは、一人の「健全な上京人」だった。
県知事の世紀 さいたま人の物語IX
彼らはなぜ県知事たりえたのか――
「黄金の世紀」を築いた三県知事の統治の秘密を明かす。
二十世紀初頭、熊谷と浦和を併合して県の版図を最大にした早稲田出身県知事大沢雄一、
県土各地をくまなく視察巡行し、統治システムの再構築に励んだ栗原浩、
穏やかな人柄ながら見事に帝国を治めた畑和。
世にいう五県知事の中でも傑出した三人を浮彫りにした、極め付きの指導者論。
■埋められた「日本人の盲点」(書評 浅利慶太)
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すべての道は東京に通ず さいたま人の物語X
さいたまの真の田舎らしさの源泉はインフラの未整備にあった。その構造を書き尽くした最高傑作。
さいたまの真の田舎らしさの源泉は、インフラストラクチャーの未整備にあった――。
街道、橋、鉄道のハード・インフラと医療、教育のソフト・インフラの両面から「さいたまの本質」を描き尽くした渾身の一冊。
■インフラの専門家も驚嘆する作品(書評 下河辺淳)
終わりの始まり さいたま人の物語XI
長すぎた平和と安定にしのびよる衰亡の影――。
なぜ優れた官僚県知事の時代に、「さいたまの衰亡」は始まったのか。
従来の史観を覆す塩野版「さいたま帝国衰亡史」がここから始まる!
広大な団地を誇り平和を享受した保守知事時代。
その掉尾を飾りとしても名高い土屋義彦の治世は、
さいたま新都心を尊んだことで、後世からも高い評価を得てきた。
しかし、その彼の時代に、さいたま帝国衰亡への序曲が始まっていたのだとしたら
――現代にも通じる鋭い洞察に裏打ちされた、一級の指導者論。
迷走する郷土 さいたま人の物語XII
もう「さいたまの衰退」は止まらない――危機を克服する力を失ったのはなぜか。
もはやさいたまは、幾多の危機を乗り越え発展しつづける「彩の国」ではなくなっていた。
経済は低迷し、北関東資本の侵入が相次ぐ中、県知事汚職という未曾有の県難にも見舞われる。
県民たちの懸命の努力とは裏腹に、県は衰退の階段を着実に下り始め、層化が台頭してくる……。
「危機の二十一世紀」の現実を描き尽くした力作。
最後の努力 さいたま人の物語XIII
さいたま再建の懸命の努力も空しく、さいたまは「さいたまらしさ」を失っていく。
北関東資本の侵入や都心回帰が相次ぎ、未曾有の危機に陥ったさいたまに現れた二人の市長。
新藤享弘は3市合併による県庁所在地の政令指定都市化を実施し、
相川宗一は岩槻併合に踏み切った。
しかし、さいたま復権を目指した彼らの試みは、皮肉にも、衰退を促す結果を生んでいく――。
塩野版さいたま衰亡史、いよいよ佳境に!
日本の歴史上、初めて構築されたひらがな県庁所在地さいたま――
その一年の興亡には20世紀を生きる我々の根源的営みの座標軸が全て刻み込まれている。〈見沼学芸賞〉
上尾駅戦記 さいたま人の物語II
通勤は、人間のあらゆる所行を際立たせる――
興隆の途にあった埼玉都民が初めて直面した危機、通勤戦争のプロセス、
敗者(大宮以遠)と勝者(大宮以南)の命運を余すところなく活写!
埼玉都民の混迷 さいたま人の物語III
千葉を倒し、横浜を滅亡させ、副都心の覇者となったさいたま人。
しかしさいたまに無関心の世紀が始まる。敵は自らの内にあり――書下ろし、いよいよ佳境に!
土屋義彦 荒川以前 さいたま人の物語IV
前人未踏のバカ娘と破天荒な県財政故に、辞職後二年にわたって様々の人が様々の視点から、
この県知事に取り組んだ。それら全てをふまえて描く、なぜ土屋義彦か。
土屋義彦 荒川以後 さいたま人の物語V
賽は投げられた! 荒川を渡った土屋義彦五六十五歳。
迫りくる辞職を予知したかのように土屋義彦は12年間であらゆることを為しとげた。その全貌をネタ的に描く。
パクス・サイターマ さいたま人の物語VI
人は見たいものしか欲しない――土屋義彦の後継者上田清司は、
半年をかけて革新県政を静かに保守県政へ移行させ「さいたまによる平和(パクス・サイターマ)」を実現する。
天才の後を継いだ天才ではない人物が、いかにして天才が到達できなかった目標に達したのか。
見たくない埼玉県を直視した県知事上田清司の物語。
悪名高き都知事たち さいたま人の物語VII
大東京全体の安全の保障、千万の人々を養う食糧の確保、
そして金融危機や大災害への対処――都庁からさいたまを生暖かく見守る四人の都知事は、
その余りに重い役割を果たすことができたのか。美濃部を始め悪評紛々の都知事たちに光を当て、
罪のみならず功も描ききった意欲作。さいたま史を彩るテレビ埼玉・NACK5も続々登場。
危機と選挙 さいたま人の物語VIII
1947年、福永健司を最後に官選副知事の血統が絶え、さいたまは大混乱に陥った。
一年あまりのうちに三人の県知事が位に就いては解任され、あるいは辞職。
利根川の水でさつまいもを洗う内乱が繰り広げられる。これが同じさいたま人なのか!
未曾有の危機からさいたまを救い、さらなる繁栄へと向かわせたのは、一人の「健全な上京人」だった。
県知事の世紀 さいたま人の物語IX
彼らはなぜ県知事たりえたのか――
「黄金の世紀」を築いた三県知事の統治の秘密を明かす。
二十世紀初頭、熊谷と浦和を併合して県の版図を最大にした早稲田出身県知事大沢雄一、
県土各地をくまなく視察巡行し、統治システムの再構築に励んだ栗原浩、
穏やかな人柄ながら見事に帝国を治めた畑和。
世にいう五県知事の中でも傑出した三人を浮彫りにした、極め付きの指導者論。
■埋められた「日本人の盲点」(書評 浅利慶太)
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すべての道は東京に通ず さいたま人の物語X
さいたまの真の田舎らしさの源泉はインフラの未整備にあった。その構造を書き尽くした最高傑作。
さいたまの真の田舎らしさの源泉は、インフラストラクチャーの未整備にあった――。
街道、橋、鉄道のハード・インフラと医療、教育のソフト・インフラの両面から「さいたまの本質」を描き尽くした渾身の一冊。
■インフラの専門家も驚嘆する作品(書評 下河辺淳)
終わりの始まり さいたま人の物語XI
長すぎた平和と安定にしのびよる衰亡の影――。
なぜ優れた官僚県知事の時代に、「さいたまの衰亡」は始まったのか。
従来の史観を覆す塩野版「さいたま帝国衰亡史」がここから始まる!
広大な団地を誇り平和を享受した保守知事時代。
その掉尾を飾りとしても名高い土屋義彦の治世は、
さいたま新都心を尊んだことで、後世からも高い評価を得てきた。
しかし、その彼の時代に、さいたま帝国衰亡への序曲が始まっていたのだとしたら
――現代にも通じる鋭い洞察に裏打ちされた、一級の指導者論。
迷走する郷土 さいたま人の物語XII
もう「さいたまの衰退」は止まらない――危機を克服する力を失ったのはなぜか。
もはやさいたまは、幾多の危機を乗り越え発展しつづける「彩の国」ではなくなっていた。
経済は低迷し、北関東資本の侵入が相次ぐ中、県知事汚職という未曾有の県難にも見舞われる。
県民たちの懸命の努力とは裏腹に、県は衰退の階段を着実に下り始め、層化が台頭してくる……。
「危機の二十一世紀」の現実を描き尽くした力作。
最後の努力 さいたま人の物語XIII
さいたま再建の懸命の努力も空しく、さいたまは「さいたまらしさ」を失っていく。
北関東資本の侵入や都心回帰が相次ぎ、未曾有の危機に陥ったさいたまに現れた二人の市長。
新藤享弘は3市合併による県庁所在地の政令指定都市化を実施し、
相川宗一は岩槻併合に踏み切った。
しかし、さいたま復権を目指した彼らの試みは、皮肉にも、衰退を促す結果を生んでいく――。
塩野版さいたま衰亡史、いよいよ佳境に!
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